どうもタバタです。
私の人生に「迷い」はいつも、付いて回ります。
中学生のころ、卒業を間近に控えていた私は初めて、自分の進路というものに向き合わなければいけない局面に立たされました。
高校を決めたのは、軽い気持ちが表れた結果であった
その時、高校を決めたのは本当に軽い気持ちでした。
私はゲームばかりしていたので、関係のある高校に行きたいなと思ったのです。
そこで私は一つ目の、今で思うと失敗をしていたのだと思います。
どんな高校に行くか決めた時、私は自分でも行ける学校を選びました。
勉強をさしてせずとも行けるような、低偏差値の高校です。
苦難は終わらないとわからない、気がする
私の人生は苦難の連続でした、そう思います。
何があったとは言いませんが、とにかくネガティブイベントが多かったです。
それも私自身がネガティブなのが、発破をかけていたかもしれないですね。
今になってそう思います、ただ、それは今になれば意味のないことです。
過去の苦難は、今には意味のない出来事でした。
未来を見なければいけない、過去に悩む必要は無い
私たちはもはや社会人として生き方を決めてしまいました。
収入の高低はあるものの、辛さや時間的拘束についてはあまり変わらないのです。
どうせ8時間は働かなければならない、そして会社に定められた仕事をこなすだけ。
私のような、凡人以下の底辺人間はこう考えてしまいます。
はぁ~、めんどくさぁ
AIに仕事を奪われる、と騒がれている今だから
なにも人間が働く、必要ないんじゃないかと。
さらに言うと私のような底辺人間が、エリート達が仕事をした結果を上手く享受できればいいだけなんではと。
そう思います。
私は高校卒業間近、投資をすることを決意しました。
初めはFXの仮想取引を行い、無駄だと感じました。
そして就職、大変な仕事で心も体もぼろぼろでした。
このままではいけない、さらに、このまま定年まで働く将来が見えなかったのです。
定年まで働くというような固定観念はそもそもありませんでした。
なので私はまだ成人式も済ませていない時から、証券会社に登録する算段を立てていました。
思いは結実する、それが行動につながったなら
確実にこのままいくと、私はセミリタイア出来ます。
10年後、はたまたそれ以上かかるかもしれません。
ですが、セミリタイアができる土壌を育むことが出来ている今、絶対にできます。
セミリタイアが逃げであり、投資は手段です。
私は逃げます。
その為に投資をする「決断」をしたのです。
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