どうもタバタです。
とうとう今年の仕事も終わりを迎えました。
どうしようもなく仕事への不満が募っています。
しかしそれも投資による将来への安心感によって軽減され、もうどうにでもなれという感じです。
悲しみと孤独のグルメレースは続くよどこまでも
さて、私は孤独です。
分かりますか、このむなしさが。
他社との交流などは望まずにいるものの、少しはかまってほしいと思いつつ。
それでTwitterにどハマりするも、周囲との圧倒的な差に悩まされるばかり。
自分だけが絶対的な差を感じている、そう疑心暗鬼になることが多いです。
Twitterのやりすぎはあく、おうあく。
加えて、おもしろい感じのツイートで和もうとしてもそこはセンスの問題があります。
頭の出来が違うのだと実感する場面が多々あります、これには敵わないとよく思います。
私にとってツイッターはとても面白い場所ではありますが、同時にストレスの源泉ともなってしまいました。
そして最近、Twitterではあるムーブメントが起こっているようです。
そのことが私を更に思いつめさせることとなりました。
オフ会とは何ぞや、地獄と天国は高い壁によって隔てられていた
はっきりいいます、この世は地獄です。
生き地獄、そう言ってまかり通ってしまうのが、今の世です。
地獄をいかにおもしろく生きるのか、それは現代人にとって最も重要なアンサーが求められている課題であります。
私にとって地獄を脱出するためのクモの糸なのが、投資です。
釈迦(三菱サラリーマン)という存在からもたらされた一本の糸、蜘蛛の糸でありながら強靭な糸です。
昇り続ければ必ず天国という脱出口が見えてくると信じています、蓮の花、食べきれないほどの豪華な食事。
私の将来はこの生き地獄である社会の将来によって、成功が暗示されています。
現在は黙々と粛々と、調子に乗らずにその道程を順調に進んでいる最中といえます。
しかし、最近はどうも調子を乱されることが起こっています。
オフ会ムーブメントです
一言で言ってしまうと、『オフ会やりすぎィ!!』です。
オフ会、そこには私のような孤独な人間は存在しません。
私には決して相いれない要素の終着点、それがオフ会かもしれません。
他者との交流が求められ、無理に話にあわせようとして無理に笑いあうとはどういうことでしょう。
私は生き地獄であるこの世からの往生を目指しているのに対して、彼らはこの世にオフ会という極楽を形成してしまっています。
私が出費を抑え、毎日生きることにも苦労を重ねているというのに。
彼らは毎晩肌を重ね、札束を重ねては私の心を揺れ動かすのです。
そもそも、私は人と合わせることが、よく言って苦手なのかもしれません。
愛想笑いなどをしなければならない雰囲気になるならば、その場にいないほうがましだと思うのです。
無理に笑わなければいいのではとお思いになるかと思いますが、私はそれをも気にしてしまいます。
私が笑わないことによって、周囲の人間に私が不機嫌で、つまらない人間だと思われてしまう事を恐れています。
めんどくさい人間なのです、生きづらいのです。
オフ会自体は悪いことではありません、人との交流も、もちろんそれは素晴らしいことです。
ただ、私にはまだ早い。
しかしそれなのに、周囲には誘惑が溢れています。
極楽へと行く準備が出来ていない私は、社会の立場というものを気にしなければなりません。
更に、人間関係というものも考えなければならないのです。
ただでさえ今、現在の私の周囲でほぼ人の気配が皆無なそのうえで。
Twitterではからずとも出くわしてしまった人間たちとも人間関係というものを結ばなければなりません。
私にありあまる処理能力があるならば幸いでした、しかし、この世はまさに地獄そのもの。
そんなものはありません。
しかし。
しかし本当は、私は他者との交流を持っていたい。
なればこそこの人生、ショッギョムッジョ!!でなければならない
変わることを祈ります。
それは周囲の環境であったり、しかし最も願い乞うのは、自分の変化です。
このように考え、オフ会への情念を燃やしながらも実のところでは決して相いれないと話す、その自分を変えたいと思います。
しかし、これが私であるのは事実です。
よくないであろうとも思いますが、これが自分の考えで、これが自分の最も心に落ち着く思いの塊です。
決してそのことは無視してはいけません。
この考えを大事にしながら、いつか他の考え方も加わったうえでオフ会当日を迎えられることを信じています。
スゥー、ただ現在として、私の今の思いとしては、オフ会?
無理ですわ、まだ行く勇気ないですわ
おわり