本当にどうでもいいようなことを、例え興味がないと言い張っていても気にしているようではまだまだ甘い。
真実を語るならば私のように口伝に落ち着けず、ただ感情の晒すありのまま、ただその様を猛烈で究極的に落とし込み、一滴の雫たるまで泣き叫べばいいのだ。
狂い、気が触れたように衝動を表す私には、さざ波などもたちはしない。
気分を悪くしたときには「脱腸した」、トイレに行きたいときは不意に「脱糞してくる」。
私こそが全ての終着点であり終局の形容詞、身悶う果実を味わってみないか。
どうもタバタです。
最近の気分転換♪
初めについったー、これが一番に思い当たります。
自身とは全く異なる境遇に身を置いている、様々な人たちを見ることが私にとって、どれだけの気晴らしになっているか想像もできません。
かつて私はありんこのような視点から、世の中の全てが巨大な人々によって動かされていると思っていました。
私のような小市民では考えもつかないような、言葉にさえ表せないような素晴らしい出来事を彼らが占有しているとさえ思っていました。
しかし、今ではその視点は変わっています。
ついったーとはVRのようなもので、それまで目視していた現実の裏側を見せてくれます。
高いビルの上から俯瞰してみることのできる、ハクトウワシのような鋭い視点、ともあれば水の中で曇ってしまいそうな視界の中でも、独自の考えを持つ視点。
全ての視点から見た時、そのどれもが正しくも完ぺきではないことに気づいたのです。
不完全な視点。
その考えに至った、至らせてくれたついったーには私は感動を綴っています。
そんな私の考えに同調するフォロワーが、今では1000人を超えています。
さえずる小鳥のような私のくちばしから出た、か細い声は世界を変えられない。
しかし、世界は変えられないのではなく、変わる世界があるだけだった。
たにんをかえるのは難しいが、じぶんを変えるのは容易であるとはよく言ったものです。
食べもの
二つ目に思い当たるもの、そういえば最近はスーパーに買い物を目的として出向くようになりました。
今までコンビニで多くを済ませていましたが、スーパーで買う食品の安さ、味、ボリュームという点で見た際に、断然満足度が高いと思っています。
直近ではほとんど毎日お弁当を自作で作っています。
ささみとたまごとブロッコリー、これで十分です。
身体づくりと共に、お金と食品の関係を深く理解し、生活の満足度が高められていると感じます。
かのじょほしいな。