夏が来た。
かつて何度も感じたであろう、あの悶々とした熱気と蒸すような湿気が、私に夏の季節を思い出させるのだ。
忘れていた過去の自分を、全ての感覚から攫い出し、追憶している昨今である。
私自身は、底冷えするような陰鬱さであった。
親の顔よりも見た資産額1200万円、YEN被害者の会代表、先達の軌跡の上で胡坐をかいているもの
どうもタバタです。
ドル円は135円台を迎え、円の価値の減少が日に日に実感として表れてしまう。
いつの日か果てしもないことが起きて、私の常識が一つ崩されてしまうのではないかと、内心で戦々恐々としている。
その心情を反映してか、今年度ではまだ私の資産額は増えていない。
加速する消費欲と、際限なき人生の探求に明け暮れる日々なのだ。
在りし日に掲げた私の目標さえも既に儚きものとなり、螺旋状に登る自分の隣に下る過去の自分の姿を幻視する。
人は変わる、赤は青に、黒は白に、空白は白濁へと自らの形相を変化させ、四十十色の瞬きがあり、また帰結する。
人生とは旅のようなものである。
己を在り固めるものが必要で、一つの旅は無数の可能性の塊であり、万の枝別れを齎す旅を渇望せざるを得ない。
日に焼け、肥え、視界がか細くなろうとも、無念を吐き出し、苦痛を声にする。
さて、私はまた一つ年をとった。
同じ境遇のものならわかるだろうが私は、無為な人間だ。
達成や困難、人間の人間による人間的な正統的で場面を熟す力が全くの零率をなし、出来物を蝕み悦を為す。
示すところが、俗にいう子供部屋おじさんである。
容易く、想像に難くないのが悲しいところである。
転職という選択肢は待っていない、自ら転職の道を進むべきである。
一進一退ではない現状は私にとって人生を無我で囚人のように過ごさせる原因の一片だと思っている。
やり残したいことがある。
何物でもいい、何が出来るのかを知りたいのだ。
我武者羅であればそれでいい、その自分を知りたい。