人生というのは年を重ねていけば、単に生きるだけで送れていくようなものである。
ただ、送るだけの人生を見つめながら思う事は、人生はただ年が重ねられるだけではどうしようもないということだ。
私は高卒であって、いままでの人生ではただ、年を重ねていただけのように感じていた。
個人的にはとても憂鬱な時間を過ごしていたような、すこし悲しい時間の使い方をしていたような気持がしている。
それを大事なものには取れないけれど、私はそれが無ければ私ではなく、とても優秀な誰かであっただけであろう。
私が個人的に大事にしていきたいものはこれからの生き方で、私が何を感じていくか、何が出来れば自分が嬉しいのか、全てが自分の主観を持っていくような時間の使い方である。
そんな、あるという、確固たる主張が出来たのはあのタイミング。
生きることに対する渇望の表れが来た時期であった。
私はこの思い出を大事にしたい、ここではその感情をすこしでも書き連ねられるようにしたいと思う。
タバタです、私は全てを自分の為にして生きたいと思っています。
2年前、2022年の夏、あるいは24歳の年、まだ若さがあると思っていた慢心の時期。
夜勤明けのコンビニ。
その日までは人生というものが何なのか、よくわかっていない人間だったのを覚えている。
とにかく資産額でしか自分と周囲との境界線がなかった、それが無ければ私のアイデンティティーが崩れていただろうということは、想像に難くない。
それはある意味強さではあるが、とても脆い人間的な強さしかなかったのである。
それは本人もよく自覚があった、変わらない将来のイメージがどうしようもなく私をダメな人間にさせていた。
だからこそ、変わるべき自分がいることを悩み、考えていた。
運がよかったというのは、今だからいえるのだろうか。
その時から、私が興味のある企業の人材募集の話しが出ていた。
昔からパソコンというものには興味があったし、初めてグラフィックボードを買ったのは中学生の時で、今でもパソコンイジリは多少の趣味になっている。
半導体によって作られているというのは高校の時に少し学んだ程度で、社会人からの株の勉強によって知識が多少あった。
今勢いのある業界に転職すれば自分が変えられる、そんな一縷の希望に縋って、転職を行った。
希望職種は特に決めていなかったが、一度自分の応募職種に落ちてから二度目の別職種に挑戦し、転職が成功した。
転職が決まってからはsonyも受けてみたけど、そちらの方は当然の如く落とされてしまった。
まだその時は自分の市場価値というものは特にない、若さだけがあるんだろうかとか、ぼんやりとした考えしかなかった。
退職までは時間があった。
自分の有休の消化を考えると、転職のタイミングはすぐには出来そうにないことを伝えて退職月は決定した。
前職の人間関係は悪くはなかったので特に態度を悪くすることもなく、有休は全消化させてもらい筒がなく退職までの日数が経過した。
有休消化中、今回の転職も全て自分を変えたいという衝動から始まっていたのが手伝って、今までしなかった自分がしてみたいことを色々と頑張ってやってみた。
さつまいもを植えてみたり、河原に石を拾いに行って、より条件の良い上流の河原まで行ってみたり、そこで廃校になった学校を見てみたり、など。
多少なりとも自分の行動が変えられていることが嬉しかった。
退職日の次の日が入社日になるので、すぐに台湾へ行く準備をすることになっていた。
新幹線で福岡まで行く、前泊するので少し屋台に行ってみたり。
ほぼ初めての経験ばかり、この年にもなって何にも挑戦を行っていない自分のつけが、ここにきて出始めていることが辛かった。
けれども挑戦していることに対して、また嬉しくなった。
初めての海外はとにかく大変でもあったが、新鮮さが強かった。
目新しい経験ばかりで、自分の思いが少しずつ前向きに変えられていることに嬉しく思った。
関わる人間すべてが特別に思えたり、かと思えばそう特別でもなく、全ての人間は自分と同じような思いと付き合っている悩みなどがある。
そう思えるようになると不安がなくなった。
台湾食は美味しいものも美味しくないものもあった、自分の食の好みが分かったのでよかった、仕事終わり毎日ぢーぱいを2個食べてた、パクチーは嫌い。
台湾生活ではやることがなかったので、頑張って他人を頼って旅行に同行させてもらっていた。
九份や野球観戦には誰かといって、その人のバスの席にだけエアコンの水が滴って、一人だけ雨を凌ぐため、わざわざフードを目深にかぶっていたのが印象的で、大爆笑した。
それから一人で野球観戦に行ってみて、どんなことでもとにかく一人で何でもできるような気がした。
少し大人として一人前になった。
自転車に乗ってカルフールに行ったり、無駄な買い物をしてみたり。
会社では人づきあいが苦手だと再認識できた。
今では人づきあいが苦手な人間の人とのかかわり方を考えられるようになったので、自分の為に出来ることが出来るようになってよかった。
2023年は意外と頑張っていたなと思う。