どうもタバタです。
私は既に27歳となり、もはや30歳と呼んでも差し支えないような、そんな年齢になってしまいました。
おじさん、その一言で片づけられてしまう年齢となってしまったという事実があります。
私はそれを重要に捉える必要があります。
それに対してどう考えて行動を起こすか、バタフライエフェクトのように目視が不可能だった加齢という変化が、自分の人生に影響を与えている、その事実に。
今回はそんな影響を受けた結果の、現時点での自分の考え方、また行動について話をしていきたいと思っています。
20代までの期間はとても重要だった、行動しなければ変化は起きなかった。
私の自己認識では、「これ」は特に特筆する点のないものです。
歩んできた道すじには困難に立ち向かった経験や、体験を通して人生をプラスに傾けた行動の変化などは、あまり散見することが出来ません。
つまり、大したことがないです。
原因としてはあまりに0、100思考で考えすぎていたのが問題だと考えることが出来ます。
失敗というものが自分の中でとても恐ろしいことで、自分にとって手に負えないような問題になりかねないと心の中で、理解していたんだと思います。
それを当時の自分は上手く制御しているつもりでしたが、それは今の自分にとってはタダのチャンスを無駄にしているだけのチキン野郎です。
当時の自分には自信がなかった。
勉強も運動も、顔やスタイル、人の好さ、肌の色やほくろの数、歯並びや髪質など。
全てが他人から少しずつでも劣っていて、それらは大小があって常に自分は変えられないものだと考えていました。
まるでそのスペックの差によって、これからの人生が全くよくないものになってしまうかのように…です。
仕方がなかったかもしれません。
私のコンプレックスは多岐にわたりました、それらを覆すほどの観点が当時の私には備わっていなかった、それだけです。
それなりに学校に行って、それなりにゲームをしたりして、たまに話を合わせて同級生と喋ることを頑張ってみる。
体のいい夢なんかを考えてみたりして、特に意味もなかったような高校を選んで、ただ時間が過ぎていくのをぼうっと、眺めていたような気がします。
就職か進学か、迷う必要もなくなんとなく就職を選択していました。
就職先でさえ思考を働かせることなく、なんとなくの会社を選び、何となく出社して、何となく仕事をしていました。
ここまで振り返って書いていても、自分がどれだけ何も考えられていなかったか寒気がしますね。
意味のないことですが、たとえ何も考えていなかったとしても、例えば挑戦や旅行など、経験さえ積んでいれば、それだけでもよかったのに、とは今になって思ってしまいます。
これは後悔しかないですが、今後は話の種として活躍してもらうしかないと思います。
さて、18歳くらいから働いていて、仕事は特に辛くはありませんでした。
なあなあでやっていました、3Kではありました、所謂ブルーカラーですが自分に向いていないと感じたことはありません。
ただ向いていると感じたことも一切ありません。
ほぼ誰にでも出来るような仕事だったからです。
自分には「労働」は向いていないと感じました。
特にやりたいことはありませんでした、方向性を変えて起業してやるなんて野心を持ったことはありません。
単純に定年まで働けるような職場環境ではないと感じていたし、何より自分が定年、ほぼおじいちゃんになっても働き続ける姿を想像したくなかったのです。
とても低い年収です、どれだけ働き続けても自分の生涯年収は平均値に行かないことがうっすらと確定しています。
生涯年収の平均値にさえ届かなければ、自分の人生が貧乏という問題を常に抱えながら生きていくことになる、という事実。
現実を受け入れられませんでした。
お金持ちになりたいという目標を達成するため、自分には何かが必要だと常に考えていた学生時代。
いくつかの選択肢のうち、株式投資が一番、自分に向いていないわけではないと考え、実行に移しました。
BNFや与沢翼、お金持ちはお金をもって投資をすることでお金持ちになれるんだという簡単な認識です。
何も分からない自分が漠然と20歳になったら投資口座を開設して投資を続けていれば、いつかは報われるかもしれないという気持ちがあったかしれません。
いえ、やはりなかったです。
その時の自分には使命感しかありませんでした、お金持ちになるための条件として第一の条件を満たしたいがために、投資を実行するしかありませんでした。
そこから時間だけが過ぎ、お金を全く使わずに生きていき、24歳になります。
そうすると投資も順調に、快調とは言えず平均に負けてはいたとしてもそれなりの金額にはなりました。
恐らくですが、他人と比べてもお金を持っている存在ではありました。
特にこれが凄いことだとは思えてはおらず、全くのアドバンテージにとしての影響もないと考えていました。
理由はなあなあで続けていた仕事、会社に対しての不満です。
年収はボーナスで操作され、前年度と同じかそれ以下。
300万円ちょうどが自分の最高年収だったと思います。
私の中の、常に平均的でいたいという執念じみた思想が強くなっていた時期です。
24歳時点ではこれぐらいの資産額、これぐらいの年収。
しかしその平均額に絶対的に届いていない、そしてこれから届く見込みもゼロである。
憤慨して、怒っていました。
会社と、その会社に勤めている自分自身に。
そこから転職を視野に生きていき、今ではなんとか無事に転職でき、平均的な給与を受け取れているので、まあ満足になりました。
資産の額についても一応、アッパーマスになっているので他人と比べても少しは自慢できる水準になって来ました。
やっとお金に対しての自信が生まれたので、そこから旅行をしています。
世界が広がった感覚がします。
これを若いころから経験したかったとは強く思います。
そして今現在は、とても重要な人生のミッションを一つ掲げています。
それは彼女をつくるということ。
彼女というものが正直分かりません。
自分を受け入れて、自分の問題を肯定してくれる存在かもしれません。
人生を好転させてくれる魔法のような存在になってくれるかもしれません。
ただ自分がそんな存在を手に入れることが出来るのか、疑って生きています。
毎日頑張って生きることを目標にしています。
人生に変化を起こせるようなアクションを少しずつ実行し、やりたくない気持ちを無視することで今までできなかった行動を出来るように頑張っています。
この動きが吉と出るか凶と出るか、はたまたくじすら引かせてもらえないのか、それは今のところわかるはずがありません。
ですが私の心はきまりました。
自分の気持ちに従う、自分のやりたいことを考える、どうすれば自分にとって一番よい行動が出来るかを考える。
自分にとってのメリットは、本当はどんなところに存在するのか、考える。
考えることが重要だ。
いくら勉強が出来ないバカでも、これさえ頭に留めておくことが出来ればそれなりの人生が送れると信じています。
信じるしかないのです。
私に残された道はきっとそれだけです。
出来ることは人よりも極端に少ないでしょう、よくないことです。
でも極端に少ないのであれば、現時点でうまくいっていることが出来ることであると捉えて、それに集中することが出来る。
集中さえできれば、人と同じかそれより僅かに良い結果が自分に齎せられるかもしれない。
僅かなチャンスを毎回作り、それを引いていく作業。
やり続けることが大事で、生き抜くことが大事である。
私は頑張って生きることを目標にしています。
この世は全て自分という存在が認識しないと評価できません。
何が自分にとって幸せか、不幸せか、それは自分自身が認識して初めて分かります。
なにもかも奥手になることはもったいない、人生は一度しかありませんからね。
この絶好の機会を逃す手はありません。
私、タバタは今年度、彼女をつくります。